オホーツクから鉄路が消えた日
<標津線・名寄本線・天北線〜長大三線廃止 平成元年4月>
国鉄からJRに移行する頃の数年間にわたって、全国で多くの旧国鉄線が合理化によって廃線になったり第三セクターに移行したりしました。特に赤字路線を数多く抱えていた北海道は多くの路線がその対象になりバス輸送に転換されていきました。昭和50年代後半から徐々に盲腸線を対象に廃止が進んでいたのですが、JRに移行して2年が過ぎた平成元年、ついにオホーツク側の準幹線ともいうべき名寄本線と天北線、それに根釧台地を貫いて走っていた標津線が廃止されることになりました。
標津線は国後島を目前に望む根室標津と厚床・標津を結ぶ路線で、夏の観光シーズンには尾岱沼や知床羅臼を目指す周遊券利用のカニ族で賑わう線でした。かつて学生時代、北海道めぐりにハマっていた人なら一度は乗っているはずです。
片や名寄本線と天北線は、かつて稚内と斜里を結ぶ「オホーツクライン」を形成していた線。興浜北線:北見枝幸と興浜南線:雄武の間だけがバスで結ばれていて、稚内から列車を乗り継いで車窓にオホーツク海を望みながら、知床半島の根元まで行けたものでした。
このつい10年ばかり前までは興浜南北線がいつつながるかと言われていて(実際、路盤工事はほぼ終わっていたそうです)、「これでオホーツクラインが鉄路でつながる!」と言われていたんですが・・・。
それが全て廃止になる!ということを聞いたときにはさすがにショックでした。この三線の廃止によって北海道の北部と東部は一気に鉄道線路が半減してしまうのです。「本線」と名がつく線が廃止になる。しかもオホーツク沿岸は網走〜斜里を除いて鉄路は消えてしまう・・・。かつての北海道の鉄道路線網は暗記するのが大変でしたが、これ以降、本線に若干の支線がつながるだけの寂しい路線図になってしまいました。
誰が名づけたか「北海道長大三線廃止」。
廃止予定日は標津線が4月29日、名寄本線と天北線が4月30日。ちょうどGWの長期休暇の最中でした。5月2日の「C62ニセコ」試運転の前日に北海道入りを予定していた私は、急遽出発期日を繰り上げて、この三線のお別れに立ち会うことにしました。元来私は「お別れ」とか「廃止」を見に行くのは好きじゃないんですが、今回ばかりは青春時代の思い出が詰まった線の最後ということで、見て見ぬふりはできませんでした・・・。
4月29日
この日は、標津線の最終日。「まりも」から根室東線の一番列車に乗り換えて厚床に着きました。しかし、駅は最終日とは思えないほど静かでした。駅本屋にかかった横断幕がわずかに今日が最終日であることを示していました。
標津線は根室東線厚床からと釧網本線標茶からの線が中標津で合流して根室標津まで達しています。ちょうど根釧台地に三叉路を描くようにして伸びていた線です。
途中の別海町は「日本一広い町」として有名になりました。もっともここは人口は少なく、「人の数よりも牛の数のほうが圧倒的に多い」と言われていました。鉄道路線図や地図を見ると、いかにも北海道然とした地平線の見える広漠な原野の中を線路が伸びているようなイメージを受けますが、実際には防風林や丘陵が多くて、北海道らしい地平線が望めるような場所はあまりありませんでした。そういえばこの線は今大井川鐵道にいるC11227やJR北海道で活躍しているC11171の故郷でもあるんですよね・・・。
厚床から乗り換えた列車で中標津に着くと、さすがにここでは最終日の雰囲気を感じ取ることができます。普段とは違ってたくさんの人がホームを歩き回っていました。
駅舎に面したホームでは地元の中学生が横断幕の下で演奏の準備をしています。たぶんお別れ式が実施されるのでしょうね。
しばらくすると、お別れ特別列車が入ってきました。なんとDD16に牽引された14系客車。長らく旅客列車が気動車化されていた標津線で客車列車が入線するのは久しぶりだったのではないでしょうか。
HMにデザインされているのは、夏の尾岱沼で行われるホッカイシマエビ漁の三角帆の打瀬船ですね。この船が漁に出るころは野付の原生花園が花盛りなころ。それを見たくて標津線で行ったんだよなぁ。根室標津からバスに乗ってトドワラまで。トドワラから野付半島の先端まで延々10キロ近く歩いて・・・。あそこですね、「地球って丸いんだ」と実感できたのは。尾岱沼YHのヘルパーが「360℃の地平線の中に国後島がモッコリ見えるぞ!」と言ってましたが、まさに・・・。
DD16自体も今となっては見られなくなってしまいましたね。この頃はそんなことは感じなかったのですが。
入ってきた定期列車から顔を出す子供達。今日はどの列車も混んでいます。地元の人たちが鉄道が最後だと知って乗りにきているようです。もうこの地方はクルマがないと何もできない、と言われているほどなんですが、それでも車内で聞いてみると「鉄道がなくなるのは寂しい」と言われた方が大半でしたね・・・。
やがて、今度は別のお別れ列車が入ってきました。こちらは気動車キハ56。これだけ長い気動車編成も標津線に入線するのは久しぶり。そして今日が最後・・・。もうこの頃には跨線橋の窓にも人だかり。ホームにもたくさんの人があふれていました。こちらの列車のHMにデザインされていたのは尾岱沼の白鳥ですね。
中標津を後にして標茶に向かいます。
最後の日も駅員さんは普段と全く表情を変えず、いつも通りの仕事をこなしていました。
西春別の駅でポイント操作をする駅員さん。
特別列車の窓から手を振っている人を除けば、まったく普段と変わらぬ駅の風景でしたね・・・。
この後、標茶で釧網線の列車に乗り換え、網走で石北線に乗り換え、遠軽に着いたのはもう夜。遠軽の駅には翌日の名寄本線一番列車に乗ろうとする鉄ちゃん・旅ちゃんが20名ほど。駅員さんのご好意で駅待合室を一晩開放してくれることになり、床にレジャーマットを敷いて仮眠。文字通りのマル夜となったのでした。