青函連絡船
かつて、北海道は私たちにとってはるかに遠い「大陸」でした・・・。
そこに行くためには、上野から夜汽車に揺られ、さらに連絡船に乗り換えて3時間50分。そしてようやく北海道の玄関である函館に着く・・・。
国鉄蒸機を追っていた時代、その後北海道の旅にのめりこんだ時代、何度も揺られた青函連絡船。それは北海道を旅する人たちにとって、まさに壮大なオペラの前の序曲だったのです。
私は、青森まで長々鉄路をたどり、津軽海峡を渡ってこその北海道だ!と素朴に信じていたので(今もそう信じてる)、渡島半島を無視して上空を「ブ〜ン」と飛んで千歳に下りるなんてことはできませんでした。それは北海道に対する冒涜であると!宗教裁判モノであると!(^^;
「序曲も聴かず、第一幕も見ないで『北海道』というオペラがわかるか!」とまで言ったことがあります。青函連絡船があったころは・・・。まあ、平たく言ってしまえばお金がなかったということなんですが。(^^ゞ
当時は↓コレ一枚が命綱。(^^;
さすがに社会人になり、お金ができても時間がない、となってみると、やむを得ず、本当にやむを得ずに飛行機を使うことが多くなりましたが、それでも、今でも事情が許せばできるだけ少なくとも往路は陸路〜函館経由で行くようにしています。もっとも連絡船は今はトンネルに代わってしまいましたが。
青森から函館へ。3時間50分の船旅。
それは、北海道への期待感を高めてくれる、最高の序曲。長い列車の旅で疲れているはずなのに、なぜか出航の時は甲板に出ていました。出航の雰囲気は一種独特なものがあって、何度味わってもいいものでしたね・・・。
ここに収録した音はいずれも1978年(昭和53年)3月、私が大学時代に北海道の旅にハマっていたころに録ったものです(写真はいくつか違う季節のものが入ってますが・・・)。それ以前、中学・高校時代に蒸機を追っていたころにも当然何度も連絡船に乗っているんですが、残念ながらその時は録音機を持っていないか、あるいは持っていても蒸機の音録り以外に貴重なテープを使うことができずに、結局録音はしていませんでした。しかし、この音は蒸機が残っていたころと何ら変わっていません。
1.乗船桟橋から乗船口へ
上野からのアプローチは大きく分けて二通りありました。
ひとつは、上野を夕方の特急で発ち、真夜中に青森着、青函深夜便で早朝函館に着くパターン。
上野14:48→(特急みちのく=11M)→23:48青森0:10→(青函11便)→4:00函館
上野16:00→(特急はつかり5号=1M)→0:15青森0:35→(青函1便)→4:25函館
そしてもう一つは、同じく上野を夕方の急行で発ち、翌朝青森着。午前中の連絡船で函館に渡るパターン。
上野19:10→(急行八甲田=101レ)→6:15青森7:30→(青函5便)→11:20函館
上野19:27→(急行津軽1号=401レ)→9:07青森9:50→(青函7便)→13:40函館
国鉄蒸機を追っていた時代は、やはりいかに早い時間に室蘭線に達するかが勝負でしたから、特急を使うことも多かったですが、大学時代、自分でバイトで稼いだ乏しい金を持っての長旅ということになると、やはり「タダ」の急行でアプローチすることが多かったですね。
急行「八甲田」。やっぱりこの列車を使うことが一番多かったでしょうか。
青森着6:15。到着が近づくと、こんな車内放送が・・・残念ながらなぜかこれは録音していないので、私の記憶をたどって書き出してみます。雰囲気だけ。(^^;
『(チャイム)皆様、大変長らくのご乗車お疲れ様でございました。あと5分ほどで終点青森に到着いたします。どなた様もお降りのお支度をお願いいたします。到着ホームは4番線、降り口は右側です。それでは、青森からのお乗り換えについてご案内いたします。北海道へお渡りのお客様、連絡船は7:30出発の十和田丸です。乗船名簿は桟橋待合室に備え付けてありますので、ご記入の上、ご乗船の際に係員にお渡し願います。連絡船ご利用のお客様は、列車を降りられましたら進行方向前の方にお進み下さい。青森から奥羽本線弘前大館方面ご利用のお客様は・・・(中略)・・・間もなく終点青森に到着いたします。どなた様もお降りの際はお座席、網棚等にお忘れ物をなさらないようご注意ください。本日は急行八甲田号をご利用いただきましてありがとうございました。(チャイム)』
そう、北海道って「渡る」ところなんですよね。(^^;
この列車で着くと、接続の青函5便まで1時間15分もあります。接続時間が短い列車の場合は、列車内で乗船名簿が配られるんですが、「八甲田」の場合は、もうこの頃は車内で配布することはなく、桟橋待合室で乗船名簿を取ってのんびり記入していましたね。
それでも乗船改札までは1時間近く時間があって・・・ようやく明るくなった空の下、これから自分が乗る船を待合室のガラス越しにぼんやりと眺めながら、「伯養軒」の立ち食いソバをすすっていました。(^^;
やがて乗船改札が始まります。
途中に設けられたカゴに乗船名簿を放り込み、皆早足に乗船口に向かって歩いていきます。そう、「津軽海峡冬景色」という歌がブレークしたのはちょうどこの頃だったかな・・・。
♪北へ帰る人の群れは誰も無口で♪
ホント、そうなんですよね。皆おしなべて無口で、それでいて早足で歩いていきます。誰しもが桟敷席のスペースを早く確保したいから・・・。(^^;
誰か一人が走り出すと、集団心理で全員がバタバタ走り出す、というコワイ状態になることもしばしばだったんですが、この時は乗客数も少なかったせいか、そういう事態にはなりませんでした。なぜか桟橋には「津軽海峡冬景色」ではなくて「帰り船」がBGMとして流れていましたけど。(^^;
そういえばこの頃、旅仲間でこんな替え歌が流行っていました。
♪上野発の夜行列車降りたときから 青森駅はカニだらけ♪
♪北へ向かう人のマナコみんな血走り 桟橋めがけ走りだす♪
♪私もひとり連絡船めざし リュックかかえ人の群れを抜いていきます♪
♪ああああ〜 津軽海峡旅景色♪
(当時、学生トラベラーは「カニ族」と言われていました)
乗船口できちんと整列した係員に出迎えられて船内へ。「北海道に行くんだ!」という期待と実感がこみ上げてくる、そんな瞬間でしたね。
青森駅連絡船第一桟橋〜「十和田丸」乗船口 1978年3月 1分28秒(1,039KB=MP3)
2.青函5便「十和田丸」 青森出航
連絡船には、椅子席と桟敷席の二つがありましたが、やはり人気があったのは桟敷席。寝転がって手足伸ばせるんですから・・・。桟敷席は場所取りのコツというのがあって、着いたらまず自分の荷物を置いて広めに場所を占領。乗船客が落ち着くまでその姿勢で待つこと。後からきた大抵の客は、入口でチラと見て桟敷席がおおむね埋まっているとわかると(遠目にそう見えるだけなんだけど)、諦めて椅子席に向かっていきます。出航10分前くらいには大抵人の流れは落ち着きます。
不思議なもので、その後はたとえその場所を離れても、人に取られたりしないんですよね。
もっとも、そうやってせっかく取った場所だけど、昼間の便だとほとんど甲板に上がって(天気よければ)過ごすので、実際にその場所にいたのは合計しても20分足らずなんてことがしょっちゅうでしたね。罪深いことをしたもんだ・・・。(^^;
そうやって甲板に出てしばらくすると出航5分前。出航合図のドラの音が鳴り響きます。もっとも、ホンモノのドラを鳴らしているワケじゃなくて、録音したものをスピーカーから流しているに過ぎないんですが・・・。
ドラの音が止んでしばらくすると、今度は「蛍の光」のメロディー。それが4小節流れたところを見計らったように出航の汽笛。
「長声一発!」
「レッコ、ショアライン」
連絡船はゆっくりと岸壁を離れていきます。
3月とはいえ、この北の地はまだ冬。甲板を吹き渡る風は冷たく、立っていると寒さが身にしみましたが、それでもこの出航の雰囲気は下の船室で味わうのはもったいない。やがて静かに伝わってくる船の鼓動・・・「蛍の光」のメロディーが終わってしばらくすると案内放送が始まります。この時にはもう船は港を離れ、陸奥湾の奥へと舳先を進め始めていました。
この「蛍の光」、今でも遅くまで飲み屋さんにいると閉店の時にかかったりするところもありますが、聞くたびにかつての青函連絡船を思い出してしまって・・・。(^^ゞ
この音は甲板に設置されているマイクから流れる音を録ったのですが、甲板設置のマイクというのは風浪に音を消されないためにボリュームを大きくセットしてあるらしくて、ただでさえ音が割れがちなところに、無造作にレコーダーを触ったりしているものですから、ヘンな雑音がかなり入ってます。お聞き苦しいとは思いますが、出航の雰囲気は充分に味わえると思います。
実際にはドラと「蛍の光」の間、また「蛍の光」とパーサー(事務長)の放送の間にはかなり時間が空くのですが、そこはカットしてつなげてあります。
では、青函連絡船世代の方、じっくり聞いて涙してください。(^^;
青函5便「十和田丸」青森出航 1978年3月 6分41秒(4,705KB=MP3)
3.案内放送
パーサーの簡単な放送に続いて、係員による船内案内の放送が入ります。この時は電池交換でいったんテープを停めていたもので、途中からの録音となってしまいましたが・・・。下の写真は案内放送で説明されている船内案内所の様子です。
青函5便「十和田丸」船内案内放送(途中から) 1978年3月 2分27秒(1,731KB=MP3)
出航の「儀式」が一通り済むと、あとは天気さえよければ甲板をブラブラして間近に見える津軽・下北両半島の景色や海の景色を楽しんだりしていました。そうこうするうちに、この甲板で知り合って意気投合する旅仲間も多かったです。一人旅同士、やっぱり話し相手が欲しくなるんですよね。(^^ゞ
時化てたり、風が強かったりしている時はさすがに甲板に出っ放しではツライので、船内に引っ込みましたが、桟敷の船室でじっとしていることは少なく、何となく船内を歩き回ってましたね、動物園のクマみたいに・・・。お金に余裕があるときは(行きはまだお金があるので多少気が大きくなってたような)、船内グリル「ぱしゅい」へ足を向けて「海峡ラーメン」を食べてましたね。「塩」と「みそ」がありましたけど、食べるのはいつも「塩」でした。というのも、「塩」のほうが50円安かったんで・・・。(^^ゞ 「いかづくし定食」というメニューもあったんですが、ちょっと高かったんで手が出ませんでした。ちなみに「ぱしゅい」というのはアイヌ語で「箸」の意味です。
グリーン船室入口のすぐ横には「サロン海峡」という喫茶店もあって、ここから海を見ながらコーヒーを飲むというのもなかなかオツでしたが、いかんせん、当時コーヒー1杯に250円というのはとてつもなく高く感じて、結局足を踏み入れたのは数回でしたね。
船は海峡中央部へ。陸奥湾内とは違って、西からの強い風と潮流に船は時として大きく揺れることがあります。それでも5,000トンを越える大きな船体はそれをものともせず、着実に北へ、北へと進んでいきます。行く手には北海道の大地が・・・。
天気のいい日でも、船が大きく揺れるか揺れないかは、出航直後の船内放送で大体予測がつきました。「本日の津軽海峡は、全般に西の風が強く吹いております。しかし航海の安全には支障ございません」とサラリと流して言う時は大したことはありません。
ところが、「・・・西の風が強く吹いております。このため、海峡中央部では多少船が揺れますが、航海の安全には支障ございません。」と一言挟まると・・・これは、揺れます。(^^;
どのくらい揺れるかと言うと、これが全然「多少」じゃないのね。(^^;
船内通路に置いてあったバケツがガラガラ音を立てて転がってることもあったし、娯楽室で麻雀などやっていようものなら、アガってもいないのに牌が倒れたり。船のスタピライザーの効果も限界があるようで。それでも5,000トンを越える巡洋艦並の巨船にとっては「支障ない」んでしょうが。(^^;
そういう時は自分が占領した桟敷席に戻って横になっているほうが無難。だからこそ、旅なれた人ほど乗船の時に血マナコになって桟敷席を占領しようとするんですよ。
「連絡船で酔った」という人はほとんどが「北海道ビギナー」の人ばかり。そういう人は何も知らないで喜んで椅子席座っちゃうんですよね。確かに椅子席のほうが眺めいいんだけど・・・。
4.函館入港
やがて船は大きく右に舵を取り、函館湾内に入っていきます。左手に函館市街、遠くには駒ケ岳・・・右手には函館山、そして函館ドック・・・。やがてその函館山の姿が次第に大きくなって、その麓の「HAKODATE DOCK」の大きな赤いガントリークレーンの文字がはっきり読めるようになる頃には、もう早々と下船口に行列ができ始めています。
やがて流れる到着案内。この音も途中からの録音ですが、ちょうど函館からの接続列車案内から入っています。注意して聞いているとわかりますが「特急」「急行」という言い方はしません。「特別急行」「普通急行」という呼び方をしています。そう、この頃は「特急」というのは「特別な」急行だったのです。「特別急行」の権威が地に落ちて久しい気がしますが・・・。(-_-;)
青函5便「十和田丸」函館入港 1978年3月 2分06秒(1,485KB=MP3)
函館に入港する連絡船。上の写真は津軽丸(2代目)、青函連絡船最後を飾った5隻の津軽丸型(八甲田丸・十和田丸・羊蹄丸・摩周丸・大雪丸)のネームシップですが、この船は同型の松前丸とともに1982年に引退してしまいました。その2隻の埋め合わせに貨物船改造の石狩丸と檜山丸が旅客航送に就航しましたが、積載可能乗客数が少なかったため臨時便に充当されることが多かったようです。
左側にあるのは柱にタイヤがブラさがっているのではありません!
これは桟橋とその周辺に設置されている入港目標灯で、○と△のものがあり、夜間はこれが点灯されて、連絡船はこれを目標に桟橋に接岸します。夜行便に乗ると、街のネオンからちょっと離れていくつかの○と△が並んでいたのが印象的でしたね。
下の写真は空知丸。これは客船ではなく、貨物船(正確には車両航送専用船)です。上の津軽丸と比べるとその船体(特に上甲板)の構造の違いがわかると思います。ちなみに旧国鉄の呼称では、客船は「客載車両渡船」、車両航送専用船は「車両渡船」と呼ばれていました。本来、連絡船は車両を航送するのが主目的だったというのがわかります。
ついでに、当時私が集めた連絡船の記念スタンプをUPしておきます。
私は、当時の客船7隻(津軽丸・八甲田丸・十和田丸・摩周丸・羊蹄丸・大雪丸・松前丸)の全てに乗っていますが、なぜか八甲田丸と十和田丸のスタンプは押していません。この7隻の中では摩周丸に出会う確率がやたら高かったですね、私の場合・・・。(^^;
最後にあるイルカのスタンプは1978年頃からでしょうか、青函連絡船のイメージキャラクターにイルカが選ばれたのは前年の1977年。なんでイルカ?と思われる方もいるかもしれませんが、当時、よく連絡船と併走するようにしてイルカの群れがジャンプしながらついてくることがありました。私も何度か見たことがあります。本当の話ですよ・・・。
さて、ここから先は「おまけ」ですが・・・。(^^ゞ
5.函館市電
連絡船を降りて函館の街に出ると、迎えてくれるのは昔ながらの路面電車。晴れた日も雨の日も吹雪の日も・・・黙々と走っていました。今も路線はなかり縮小されましたが、2系統が元気に走っています。写真は雪の日の函館駅前。
この頃は、まだ「古豪」500型が健在でした。というよりも主力が500型。
私が北海道で一番好きな街がこの函館。連絡船で着くと夕方まで函館の街をブラブラ歩くのが私の楽しみでありクセでしたが、やってくる電車の半数がこの無骨な車体でした。
函館駅前で電車に乗り、元町の入口:十字街まで5分弱。この音は3系統の函館ドック前行きの電車、車両はもちろん500型です。独特の吊掛音はもとより、運転手が操るハンドルの音もよく聞こえてきます・・・。
函館市電3系統(500型電車) 函館駅前〜十字街 1978年3月 3分53秒(2,741KB=MP3)
函館市電の写真はこちらにもありますので、興味のある方はご覧下さい。
6.函館カトリック教会の鐘
十字街で市電を降りて坂を登っていくと、聖ハリストス教会とローマカトリック教会を見下ろす場所に出ます。バター飴の蓋の絵柄にもなったこの風景、まさに函館を代表する景観といえるでしょう。
5月から10月の観光シーズンは団体観光客であふれかえるような場所ですが、雪の降る季節にはウソのように静かでした。この日は日曜日。礼拝に来ていた人たちがカトリック教会から出てくるのを除けば、教会前の通りは閑散と・・・。
やがてカトリック教会の鐘が澄んだ冬空に鳴り渡ります。
函館ローマカトリック教会の鐘 1978年3月 2分35秒(1,824KB=MP3)
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