「汽車」1973・1975
国鉄蒸機の終焉。
その姿を見ることのできた世代は恐らく私たちが最後だったでしょう。
当時、満足なカメラも持っていなかった私たちでしたが、とにもかくにもその姿を写真に留めることはできました。
当時、その最後の音を録るというのも多くの人の間で行われていたんですが、私が音を録ることができたのはわずか2回。昭和48年夏の会津と昭和50年春の室蘭線だけでした。実際にはそれよりも多くの撮影行に出ていたにもかかわらず…。
それというのも、当時私はラジカセ等の録音機材を持っていませんでした。買うことすらできませんでした。というのも、中学生・高校生にしては分不相応なほどに何度も撮影に行けたのは、親との間で「それ以外には何も欲しがらない。何も買わない」という約束を交わしていたからで…。アルバイトなどできず、親から貰う小遣いが全て(それでも時々親父が内緒でお金をくれたけど)。親の言うことには逆らえないわけで…。
だから、当時クラスの同級生が持つようになったラジカセも買ってもらうことなどできなかったんです。
それでもやっぱり音は録りたい…。そこで、クラスの友人に三拝九拝してラジカセを借りて撮影行に出ました。とは言っても、当時ラジカセは貴重品。そうそういつも貸してくれる人のいいヤツはいないわけで、結局借りられたのが前述の2回だけ。
私が自分のラジカセを手に入れたころには、とうに国鉄蒸機は消えていました…。
そうして残った音は、わずかに60分テープ2本だけ。
それも、効果的な音の録り方など何も知らずにただ「録音した」というだけ。今聴いてみれば、乗車録音は外部マイクも使わずの録音で風の音ばかり。走行音は線路に近すぎる位置にラジカセを置いたために遠ざかっていくドラフト音が車輪の響きで消されてしまっていたり…。まったくオソマツなシロモノです。
「国鉄蒸機の音」というと、恐らく多くの人が、勇壮なドラフトと汽笛を想像するでしょうが、ここにUPした音はそれとは似ても似つかぬものです。
汽笛もあまり鳴らなければ、ドラフト音もほとんど聞こえない。
しかも外部マイクすら取り付けずに内蔵マイクだけで録ったものだから、静かな時にはラジカセ本体のテープ走行音までノイズとして入ってしまう始末。(こればっかりはアホだった…悔やんでも悔やみきれません)
したがって、恐らく音としては最低ランクに位置するシロモノと思っていただいて間違いありません。
聴かれた後に「不幸のメール」出したくなるのではないかと。(^^;
それでも…こんな雑音だらけの音が、私にとっては何者にも替えがたい思い出になっているのです。
1.日中線 混621・622列車
日中線。喜多方から熱塩まで11.6kmの盲腸線。
早朝に1往復、夕方2往復だけの列車が走っていた超閑散線区でした。特に、この朝の列車を撮影するというのは至難のワザで、マトモに撮ろうと思えば前夜熱塩温泉にでも投宿しなければなりませんでした。
ところが、中学生がそんな高いお金を出して(当時熱塩温泉の宿はそんなに高くなかったそうですが、それは大人のレベルの話で)旅館に泊まることはできず、と言って近くにYHはなく(この当時一番近いYHは柳津か猪苗代でした)、どうしても日中線の朝の列車を撮ろうと思ったら、前夜上野23:50発の「ばんだい5号」に乗り、会津若松5;00着。ここから5:14発の熱塩行混621レに直接乗るしかありませんでした。そうでもなければ、会津若松の駅に「マルヨ」するか…。
混621レは喜多方着5:42。ここで30分停車。この間に喜多方駅発車を狙うポジションまで歩いて移動するか、それとも友人同士で金を出し合ってタクシー相乗りで会津加納や熱塩まで先回りして混621レを待ち構えるか…。
悲しいかな、いったんタクシーを使ってしまうともうその日は昼メシを抜かなくてはならないほどの貧乏旅行。帰りの混622レも撮影して、またバス代を払って会津乗合バスで喜多方に戻るなどという「ゼイタク」はできるはずもなく…。
そんなワケで、帰りの混622レはいつも乗車でした。(^^;
まずは、そうやってタクシー使って待ち伏せした混621レの音を…。
本当ならば、25‰の勾配のところまで行けばよかったんですが、混621レは熱塩着6:49で、折り返し7:02には上り混622レとして熱塩を発車してしまうので、この13分の間に駅に戻ることを考えると遠くには行けず、結局駅のそばの野辺沢川を渡る小さなコンクリート橋のところで撮らざるを得ませんでした。当然、もう駅進入間近ですからドラフト音なんかほとんど聞こえません。ただゴロゴロと通り過ぎていくだけ。(^^;
熱塩じゃなくて会津加納へ行って発車を撮ったほうが賢かったんですけどね…。
踏切の鳴っているところまで行けば力行シーンが撮れたんですが、そこまで行くと間に合わなくなりそうでコワかった…。帰りを考えるとここが精一杯。結局いつも熱塩に来るとここばかり。翌年の夏も2回ここで撮ってるし…。(^^;
もうこの頃は、朝の621レに乗ってくるのはほとんど鉄ちゃんでしたね。それも機関車寄りの客車に集まっていました。夏の時期だからこんな写真が撮れるんで、冬休みあたりはとてもじゃないがこの混621レはマトモには撮れませんでした。6:49ですから。
C1180牽引混621レ 会津加納〜熱塩(野辺沢川橋梁) 1973年8月 1分34秒(1,102KB=MP3)
同じ事ならタクシーでここまで来るようなことしないで、喜多方からそのまま混621レに乗って上り勾配を行く音を録ればよかったのに、録った乗車音は喜多方にゴロゴロ下っていくだけの混622レ。録音しても下り勾配だからロクな音は録れないんですよね。(^^;
熱塩を発車すると、力行するのは駅の構内だけ。駅はずれの野辺沢川橋梁を渡るころにはもう絶気。カーブの手前で汽笛を鳴らすと制動がかかり、あとは25‰の勾配を惰力で下っていきます。
しかし、自分で録音してるのに発車直前までペチャペチャ喋ってる私たちって…。(^^;
C1180牽引混622レ乗車 熱塩発車 1973年8月 2分14秒(1,581KB=MP3)
熱塩から喜多方まで途中駅は3つ。会津加納、上三宮、会津村松。
会津加納には貨物扱いの駅員がいましたが、あとは全部無人駅。駅のホームには草が生えているようなところばかりでした。わずか2両の客車には似つかわしくないほどの激しいブレーキ扱いの音と共に列車は停車。この当時まだトランシーバーは使用されておらず、車掌はホームに出て乗降を確認、C11の機関士に肉声で「発車」の指示を出していました。ここ上三宮も発車してすぐ押切川橋梁。力行するのは駅構内だけです。
C1180牽引混622レ乗車 上三宮到着〜発車 1973年8月 1分20秒(938KB=MP3)
2.磐越西線 244列車
混622レが喜多方に到着すると、C11は2両の客車をホームに置き去りにして転線、会津若松行244レの先頭に着きます。4両編成の堂々たる通勤列車。混622レの喜多方到着が7:35。244レの発車が7:53。いつもこの列車に乗り継いで会津若松に戻るのが常でした。朝の通勤列車だけあって、生活感あふれた蒸機列車でした。この日は小雨で風が強い日。そのせいで、風の音がやたらうるさいですが、今の復活蒸機では味わえない生活列車の雰囲気もかすかに感じ取っていただけると思います。喜多方〜会津若松の全線を録音してあるんですが、長くなってしまうので、ここでは姥堂の発車から塩川停車・発車、笈川停車・発車までをUPしました。
なぜかところどころ短時間録音停止をしていたところがあるようで、姥堂〜塩川は実際より1分弱短くなってます。この頃、カセットテープも安くなかったんでケチって使っていたのかもしれませんね。
塩川ではすぐ隣の線にDD51の貨物が停まっていました。ほんのちょっとですが、かすかにアイドリングが聞こえます。
C1180牽引244レ乗車 姥堂発車〜塩川停車〜笈川発車 1973年8月 8分10秒(5,743KB=MP3)
この244レっていっつも乗るばかりで走行写真1枚も撮ってないんですよね。この頃はもう昼間C11が4両の長編成を牽くのは珍しかったんですが…。
残ってるのは冬の時期に喜多方発車前に撮ったこんなスナップだけ。(-_-;)
この時の機関車はC11199でしたね。
そうやって244レで会津若松に帰ると、あとは午後の貨物列車狙いで会津線か只見線に行くか、それとも若松の駅構内でスナップしてるかでしたね。特に雨の日は軟弱に若松スナップで済ますことが多かったです。(^^ゞ
3.室蘭本線
北海道に持っていったテープは1本だけ。後生大事に使っていましたが、なぜか音を録ったのは客車列車ばかり。
しかし、元々平坦線の室蘭本線。山間の線のように豪快なドラフト音など望むべくもなく・・・。
しかも本州とは比べ物にならないくらい強い冷たい風が吹きすさぶ石狩平野。ただラジカセを地面に置いておくだけでも風の音が轟々と…。
今は交通博物館のアイドルとなったC57135牽引する223レの栗丘発車。(「室蘭本線昭和50年春」に掲出してるのと同じ写真です。(^^;)
この時、223レから降りてきた鉄ちゃんがそのまま私たちの前に出て発車を撮ろうとしたものだから、一斉に罵声が。(^^;
ちょっとカン高い声で「どけぇ!」と叫んでいるのは私です。(^^;;;
この時怒鳴られた人、ごめんなさい〜〜〜。
C57135牽引223レ 栗丘発車 1975年3月 1分22秒(966KB=MP3)
栗丘というと思い出すのは…。この当時、旅先での食事はほとんどパンと牛乳という仙人みたいな食生活でしたが、そのパンもいったん都会を離れると入手するのが困難で。(今みたいにあちこちにコンビニがある時代じゃない)
この栗丘も駅の近くに雑貨屋みたいなところがあって、そこでパンも売っていたんだけど、それこそ早いモノ勝ち。買いそびれれば夕方まで何も腹に入らないことにもなりかねないだけに、争奪戦が必死でした。(^^;
そんな中、重宝したのは「あんつなぎ」という菓子パンで…。(^^;
アンパンが4つ、2×2の正方形の形になってつながってるんですよね。中身は黒あん、小倉あん、うぐいすあん、白あん…。4人仲間でこれ1個買って1つづつ分けて食べるなどということをやってましたね。
それだけで夕方までほとんどあとは何も食わなかったんですから、考えてみればこの頃の私たちって、旧帝国陸軍も真っ青の「粗食に耐える」人種だったのかもしれません。(^^;
『泥水すすり草を噛み、3日も食べずにいたとやら』(ンなアホな…)
『欲しがりません。撮るまでは!』
『撮りてし止まむ』
223レが行くと15分ほどで224レがやってきます。
なぜか、栗丘で1〜2分停まるんですよね。この時も224レから降りてきた鉄ちゃんが私たちのいる場所めがけて猛ダッシュ。私たちは下り線側から発車を撮っていて、ラジカセは反対側の上り線側(224レが通る方)に置いておいたんですが、その鉄ちゃん、誰もいないと思ったようで(事実誰もいないんだけど)、あろうことか発車の音を録音しようとして置いておいたラジカセの前で足を止めて「お〜!いい、いい!」などと叫ぶ始末。(-_-;)
224レは機関車の次位は3両の荷物車、その後ろに4両の客車。その客車から3両の荷物車とC57の脇をすり抜けて走ってきたもんだから、かなり息せき切って走ってきましたが。(^^;
それにしても、この頃ってオバカだなぁ、と思うのは、ラジカセ線路の近くに置きすぎなんですよね。5mくらい離したほうがいい音が録れるということを知ったのは、はるか後年のことでした。(^^;
C57144牽引224レ 栗丘発車 1975年3月 2分20秒(1,652KB=MP3)
下の写真はこの音を録音するちょうど1年前の1974年4月にやはり栗丘で撮った224レの発車。この時は上り線側から撮っています。奇しくもこの時も牽引機はC57144でした。(音を録ったときの224レ発車の写真はこちら)
「いい、いい!」と叫んだお兄さんの撮った側からだとこういうアングルになります。(^^;
栗山〜栗丘間にはトンネルがあります。このトンネルが小さなサミットをなしているんですが、勾配はわずかに4‰。
重量貨物のD51ならともかく、軽編成の客車を牽くC57にはまったく意に介さないような勾配で…。227レは特に編成が短くて4両なんですよね。この時はトンネル入口にラジカセをセットして音を録ったんですが、C57はドラフト音などカケラもださずに猛スピードで接近し、トンネルに突入していきます。4‰とはいえ上り勾配なんだけどなぁ。(-_-;)
まあ、よく言えば、C57本来の急客機としての走り、ということなんでしょうね。(^^;
最初に聞こえる音は国道を走るクルマの音です。その音を掻き消すようにC5738の轍の音が高速で…。
C5738牽引227レ 栗山〜栗丘(栗丘トンネル進入) 1975年3月 0分54秒(633KB=MP3)
最後の年、室蘭〜岩見沢の客車列車のうち、225レだけはD51の牽引になっていました。
「C57牽引でない」という理由で私はよくこの列車を移動列車にしてましたが…蒸機列車で移動して蒸機列車を撮影する、そんなことができた室蘭本線はやはり最後まで「煙の砦」でしたね。
ところが平坦な室蘭本線。乗車してもなかなか山線のような豪快な音は聞けないどころか、ドラフト音さえマトモに聞けるのは発車時くらい。写真を撮っても、煙もなく蒸気も吐かずシュルシュルと通り過ぎるのが当たり前でしたね。こんな具合に。(^^;
下の写真は東室蘭駅停車中のカットですが、先に伸びるまっすぐな線路…室蘭本線の東室蘭〜沼ノ端は一部を除いてほとんどこんな感じの直線ばっかりですから、機関車にも曲線抵抗という負担がかかる場所が少ない分、D51といえども高速ですっ飛ばしているわけで。(^^;
ちなみに、C57の室蘭線客レの表定速度(停車時間も含めたダイヤ上の速度)は各列車平均すると39km/hを超えてました。これって各停列車としてはベラボーに速い部類に入ります。ハッキリ言って今の磐越西線「ばんえつ物語号」なんかハダシで逃げ出す速度です。8226レの新津〜会津若松間の表定速度はほぼ33km/hですから…。「ばんえつ物語号」はドカ停(津川15分・山都10分)があるじゃないか、という人もいるかもしれないけど、1975年の室蘭本線C57客レも途中駅の特急・急行退避で5〜10分、苫小牧で給水で5〜13分、追分で5〜10分停車するから似たようなもん。しかも「ばんえつ」は快速で停車駅は少ないのに、室蘭線は大小30近い駅に全部停車してこの表定速度。実際の区間速度にどのくらい差があるかは説明しなくてもわかるでしょう。それだけ、勾配のほとんどない直線平坦線の走りは速かったんです、蒸機でも。
これは今はもう遠い伝説ですね…。
まあ、だからこそ函館山線に代わって道南〜道東を結ぶメインルートになったのですが…。地図だけ見ると室蘭線回りって三角形の二辺どころが四角形の三辺を通るようなもんですからね。(^^;
それは機関車がこの当時D51になっていた225レでも同じ事で「D51がこんなにかっ飛ばしてもいいの?車軸焼き切れるんじゃ…。」と心配したくなるほどの速度で突っ走っていきます。
この時も、ほとんど聞こえるのは轍の音ばかり。これでも機関車次位の客車のデッキでテンダーのナンバープレートを眺めながら録音したのですが(風の音をできるだけ避けたいと思って)、かすかにロッドの音が聞こえてくるくらいでドラフト音は全然聞けず。
そればかりか、途中で真下の連結器がカン高い音を立て始めて…。
この連結器の金属音、何なんでしょうね、一体。(-_-;)
何でこんな音が出るんでしょう?誰かわかる??
それを知りたくてこの音UPしたんだけど。(^^;
わかる人教えてください〜〜。
それにしてもかすかに聞こえる轍の音、これがD51かと思うくらいの高速走行しているのがよくわかります。
D51872牽引225レ乗車 幌別発車〜富浦通過〜登別到着 1975年3月 8分19秒(5,855KB=MP3)
昭和50年春の撮影行最終日。
栗丘をC57144牽引の229レで出発しなければならなかった私たちは、下り貨物の6371レが最後の撮影となりました。
栗丘トンネルの出口。ここからは下り勾配ですから、当然機関車は絶気です。
トンネルを出て、私たちの目の前を通り過ぎるD51…その後には延々と貨車の轍の音が…。
D51915牽引6371レ 栗山〜栗丘 1975年4月 0分55秒(647KB=MP3)
当時は全力で走っていた汽車たち…。
鉄道ファンやカメラマンに媚びることなく、ただ黙々と生活の臭いを漂わせながら走っていた汽車たち…。
各地で復活蒸機が走る今の時代、私たちにとっては大変幸せな時代ですが、残念なことに、あの頃の「本当の汽車」の姿だけはどうあがいても「復活」させることはできないんですよね。こればかりは仕方がありません。復活蒸機はあくまで復活蒸機にすぎず、昔の蒸機とはあくまで別物。それはそれで別の魅力があるのだと思わなければ…。
「本当の汽車」の残像は、あの時代を経験した私たちだけの胸の中に宿る宝物なのかもしれません。その「宝物」を抱きながら今の復活蒸機を追うことができる私たちは、考えてみると最も幸せな世代なのかも…。