ある日の筑波鉄道
筑波鉄道。常磐線土浦と水戸線岩瀬40.1kmを結んでいたローカル私鉄。
1965年に中小私鉄が寄り合って合併した関東鉄道の一路線として「関東鉄道筑波線」という呼び名のほうが馴染みがある方も多いと思います。1979年に関東鉄道から分離されて旧名の「筑波鉄道」に戻りましたが、1987年に廃線となってしまいました。
私の母親の実家が岩瀬にあり、子供の頃は夏休みのたびに岩瀬には訪れていたんですが、鉄ちゃんに目覚めていたにもかかわらず、蒸機以外には興味を示さなかったため、私がこの筑波線の写真を撮ったのは国鉄蒸機が消えた後の1977年、廃止のようやく2年前でした。
岩瀬駅。この頃はまだ4往復の客車列車が健在でした。上の写真はたぶん昼頃の2724レ。
この頃は貨物の引込み線もあって、駅の東側には貨物専用のホームがありました。
跨線橋を渡ると筑波線用のホームとして4番線・5番線がありました。たいてい1両か2両の気動車がひっそりと停まっていました。
筑波線は土浦から筑波、真壁と北上するに従って列車本数が少なくなっていました。岩瀬〜真壁間は1時間1本程度だったでしょうか。もっとも朝夕の列車を除いてはほとんどの列車が土浦まで全通していました。
岩瀬を出ると、雨引、東飯田、樺穂、そして真壁。下の写真は東飯田の駅。ちょうどGWの頃で、駅のすぐ前の田んぼには水が張っていました。
下の写真は岩瀬から雨引に向かって大きく線路が南にカーブするあたり。今だったら格好の撮影地なんでしょうが、この時は何の気なしに母親の実家から歩いてたどりついただけでした。この日は天気が悪かったせいもあって、思い切り動態ブレしてますが。(^^;
筑波の駅。一応観光地の駅でした。観光シーズンには上野からの直通列車快速「筑波」がここまで乗り入れていました。この年の5月、私はこの快速「筑波」を見てみたいということで母親の実家に泊まって、ここにやってきたのですが…。
2日目の朝出かけようとすると、その頃小さかった従妹が「連れてって!」と言い出してきかず、やむなくコブつきで出撃するハメに。(--;)
筑波駅の南側には、筑波山をバックにできるおあつらえ向きの場所がありました。ただ、この角度では下りの快速「筑波」は後追いになってしまうので筑波山バックでの撮影はちょっと難しいんですよね。
土浦〜筑波間の列車には3両編成の列車も入ってきました。観光シーズンだったからかな?
こうやって私が一人で写真を撮っていると、手持ち無沙汰になった従妹は「つまらないから帰る!」と言い出して泣きべそ…おいおい…。(--;)
幸い周りにはレンゲ畑。
「そこらでお花でも摘んで遊んでなさい。」と言ってなだめると、本人もその気になってお花摘みを始めたんですが…。
あろうことか、線路に近いレンゲ畑で花を摘み始めまして…お〜い、そこだとアングルにモロ入っちゃうんだけど。(^^;
花摘んでろと言った手前「どきなさい」とは言えんし…。仕方なく私のほうが場所を変えるハメに。その頃は人物を入れたカットを撮ろうなんて発想できなかったんですよね〜。
快速「筑波」、結局ナナメ正面気味のアングルを取れなかったせいで何とも尻切れトンボな撮り方になってしまいました。かつては旧客だったんですが、この時期にはもう12系客車に代わっていましたね。
筑波の駅に戻って列車をスナップ。筑波駅の構内ってけっこう広かったんですよね。
牽引機のDD502。なんとも愛嬌のあるカオをしていましたが、もっとじっくりスナップしておけばよかったなぁ…。
さあ、上りの「筑波」は筑波山バックで撮るぞ!と思ったんですが…。
従妹が「帰る!」と泣き出してしまいまして…。結局上り「筑波」を撮らずに帰ることになってしまいました。(こっちが泣きたかった…)
まあ上り「筑波」は次に機会にでも、と思っていたんですが、何やらかんやらで行けないでいるうちに筑波鉄道自体が廃止になってしまいまして…。(--;)
筑波線がなくなり、貨物ホームも消えて、岩瀬の駅は昔とは比べ物にならないほど寂しくなってしまいました。すぐ3つとなりの下館の駅には蒸機も入って活況を呈しているというのに…。時折墓参りに岩瀬の町を訪れるたびに昔が懐かしく思えてなりません。